006 - 社会的成功について
今回は社会的成功について語ってみようと思う。まず日本は資本主義社会なので、お金がモノを言う。やはり生活する上でお金は切っても切れない関係だ。社会的成功と言えばお金持ち。これは誰もが抱く感覚なのではないだろうか。俺もよくわかる。お金持ちになったらしたいことがたくさんある。ポルシェに乗りたいとか、家が欲しいとか、色々ある。
じゃあそれらを持っていない俺は成功者じゃないのか。俺はそうは思わない。精神的には俺はもうすでに成功している。それは、それらがなくても幸せと言い切れる精神性を手に入れたということだ。人生は主観なのだ。主観的に幸せなら、その人は成功しているのだ。周りがなんと言おうと俺はそれでもいいと思って生きている。
それはそうとして、じゃあ金銭的な成功は必要ないのか、というとそうではない。優先順位があると思う。どれだけお金を持っていようが、精神が育っていない人はずっと惨めなままだ。お金じゃ時間も本当の友達も買えない。つまり”お金 < 精神性”なのだ。
また、お金は人を堕落させる。金があれば家事もしなくていい。他人を射止めるための努力をしなくていい。何もしなくてもお金があれば人を雇える。お金に働かせることができる。これが資本主義の弊害だ。お金があるせいで精神性が育たない。Yesマンが周りに溢れるせいでそれにすら気づけない。社会的成功をしてから自殺する人が多いのも、これが要因と言える。
お金は必要というのは変わらないし、あれば助かることも大いにある。ただ、老いた人間が求めるものは、本当にお金なのだろうか。人生において必要なのはお金なのだろうか。いいや、老いた人間が一番後悔するのは、お金を稼がなかったことではなく、しなかった後悔だ。
老いた人間に金があっても、できることは若いうちより限られている。ライブに行く力は残っていないだろうし、旅行するのもしんどい。そして何より時間が有限であること。いつか死ぬ。そんな寿命との勝負もある。つまり、お金の価値より、経験の価値の方が高い。お金自体に価値はない。お金は使って初めて価値を示す。つまりお金がなくても経験ができればいい。今の時代は特にサブスクが豊富で安く経験を得れる。もはや経験はインフラと化したのだ。
そんな時代に、金銭的余裕はもはや必要ないのかもしれない。俺はミニマル・ライフを提唱したい。必要最低限のインフラで、最大限の幸福を得る。これこそが、新時代の社会的成功と言えるのではないのだろうか。だからと言って、お金を稼ぐ努力も諦めたくない。スモールステップでもいい。少しずつ地盤を固めていきつつ、今の幸福も捨てない。貧相に見えて、かなり贅沢な選択だと思う。
次回は「ミニマル・ライフ」について掘り下げていこうか。これは本ではない。俺の考えをそのままぶちまけているだけだ。次回の内容はミニマル・ライフではないかもしれない。気まぐれだ。許してくれ。