005 - 思考の飛躍について


思考が飛躍すると本来は誰にも理解されないので、俺は常に言いたいことを押さえて順序立てて話している。だが、あえて今回は飛躍した思考をそのまま文章に書き出してみたい。そして俺のスタンスとしては正しさを押し付けないつもりだが、今回はあえて正しさを押し付けるような、断定的な文章を書いてみようと思う。

俺は鳥だ。俯瞰して世界を飛び回っている。何も持てない。働く人間を見て「今日も働いているなぁ」と呟いている。世間は俺を見て「あいつは口だけ達者で働いていない」と妬む。だが鳥は視野が広い。俺は人間に対して「そっちに行くと危ない」「その先は崖だ」と言う。人間は信じない。結果、落ちていく。それを知っているのは鳥だけだ。何も知らない人間はまた、崖に向かって走っていく。鳥はそんな光景を見て「今日も働いているなぁ」とだけ呟く。

こういう皮肉めいた文章を書くことも可能だ。これは鳥を観測者のモチーフとして、観測者は実体に介入できないため、粗末な扱いを受けるとそのうち忠告すらされなくなることを描いている。これは俺の人生とも言える。俺がこういう文章を量産しないのは、世間との繋がりを断ちたくないからだ。理解されることをどこか望んでいる。世界を完全に憎みたくないからだ。

知性とは鋭利な道具であり、簡単に人を傷つけることができる。ナイフは便利だが、使い方を間違えると人を傷つける。俺はその影響力を理解し、人に知性をぶつけないよう努力してきた。だが、たまにはこうやって自分の知性を解放しておかないと、俺が俺でなくなってしまう。人間関係も同様だ。表面上の付き合いは何の問題もない。知性を抑えてしまえばなんとかなる。だが、親密になればなるほど、俺は知性を解放する。結果、人を傷つけてしまう。悲しい生き物だ。

なんならもっと抽象度が高く、思考が飛躍した文章も書ける。そんなことを言い出すと、サルトルの「地獄とは他人だ」という言葉を思い出す。これはアドラーの「すべての悩みは人間関係から生まれる」という思想と近しい。つまり人間関係をクリアする能力さえあれば、悩みなどなくなる。クリアとは、単純に良好な関係を築くことではなく、良好でない関係さえ受け入れる能力も含まれる。他者の課題と自分の課題を切り分けるのだ。

この辺できっと読者は頭が痛くなってくる。話が飛躍し複雑化すると、こうやって読者に理解されづらくなり、世界との繋がりが希薄になってしまうのだ。だから俺はできる限り話が飛躍しないように文章を書いている。それは一見もどかしいが、そうでなければこんなブログを公開する必要はなく、メモにでも殴り書きしていればいい。人に伝える目的を失わないように、これからは文章を書いていきたい。