002 - 日記の有用性について


日記を書くのはめんどくさい。それを習慣化できる人間はよっぽどマメな性格か、それしか趣味がないか、日記を書ける自分に酔いしれているか、そのどれかである。ちなみに俺はちょっと酔いしれている。だが新たな可能性を提唱したい。日記は全人類書いたほうがいい可能性がある、かも知れない。

そもそも俺は自分の生活を記憶することが苦手だ。自分というものに興味があるようで欠けている。自分が何を食ったとか、何を考えていたとか、どうでもいいじゃん。って思ってたんだけど、描き始めると案外面白いのと、自分の思考傾向が見えてきて面白い。あと、俺は普通に生きてると周りに全く理解されないため、自分から考えを書き起こすことをしないと村八分に遭うのである。村の端っこに一人で住んでて何故かいつも猟銃を構えてる寡黙おじさんとは、俺のことである。

頭の中で生きてると言っても過言ではない人間が、こうやってキーボードをカタカタしている時が、唯一現実と接地していると言えるのではないか。これがギターとか万年筆とか、オシャレなものだったら良かったのだが。側から見ればダサすぎる。んなことはどうでもいいんだ!

日記を書くのは労力がいるのは言わずもがな。だが自分の考えを記録するだけの価値はある。特にアートをやっている人間にはお勧めしたい。自分の日記はその瞬間の打刻であり、アイデアの宝庫でもあるのだ。アウトプットするのが絵だろうが、音楽だろうが、言語化する能力は再現性を高める上で必要な行為だと考える。アートは感性だのいうが、それは裏打ちされた歴代のアートの上にある感性であり、実は再現性こそものを言うと俺は考える。

エモいだけじゃ知性がない。知性がないと消費されて終わる。そんなつまらないものを生み出すくらいなら、もっと他のことで人生を豊かにした方がマシだ。とか、どんどん話が脱線してくるが、これこそ日記の有用性なのである。テーマがない、つまり自分が普段考えているが、忘れてしまっていることを保存しておける。これはアートをする上でめちゃくちゃ重要なことだ。

芸術は全て繋がっている。米津玄師が絵も音楽もダンスも出来るのは、芸術が得意だからである。愚者は一つの側面でしか物事を考えない。音楽を突き詰めたいなら音楽だけやってればいいと思っている。いや、そうではない。文章も書くべきだし、いろんな場所に足を運ぶべきだし、美術館にだっていくべきだし、とにかくいろんな芸術に触れるべきなのだ。全芸術家は。

それを踏まえた上で、日記を書くことは自分の文才を磨くことに繋がるし、先ほど述べた通りアイデアの宝庫になるのだ。芸術は繋がっているのだがら。まぁ、芸術に興味が無ければ書かなくてもいいと思う。ぶっちゃけそういう層に向けた文章ではないので、ここまで読んでもらってなんだが、そういう人は読まなくて結構だ。ごめんね。嫌いじゃないんだけどね。

ビジネスもアートも全部繋がっている。それに気づいた起業家はアートに行く。金を稼ぎたいなら、アートは理解しとくべきだぞ。だがサラリーマンは言われたことだけやってればいいから、そんなにアートに触れなくてもいいぞ。頑張れよ。